太平寺          中村市右山

南北朝時代の文和年間(1352〜56)海峰性公尼が四国巡拝の僧泉厳覚雲の助けにより建てた寺で、天文年間(1532〜55)寺を修復した土佐一条氏三代房基は、非常避難所として土塀に三角形の矢狭間を設け軍事的に重視した。境内には堅固な石垣を構え江戸初期建立の山門を備えている。開祖の性公尼と覚雲の座像は室町時代の肖像彫刻の傑作とされ、国の重要文化財に指定されている。寛永13年(1636)伊達政宗父子の懇請により松島瑞巌寺を再興した禅僧雲居希応(うんごきよう)の出身寺で有名である。