山内忠直(修理大夫)
土佐国領主山内一豊の弟康豊(修理亮)が、慶長6年(1601)中村初代藩主となり元禄2年(1689)五代で廃藩となるまで、中村山内氏は土居屋敷(刑務所跡)に邸宅を構え、中村城を居城としてこの地を治めた。初めは2万石であったが、三代忠直になって3万石となった。
忠直は土佐二代藩主忠義の2男で慶長18年に生まれる。明暦2年(1656)中村藩主となり寛文7年(1667)53歳で没した。墓の大五輪搭は県下最大で、首から上の病気で苦しむ人々の信仰を集めている。