幸徳秋水

本名、伝次郎。明治時代の社会主義者で明治4年中村に生まれた。幼少より秀才と言われ、やがて自由民権運動に参加、中江兆民に師事し万朝報入社、新聞記者として活躍した。明治34年同士と共に社会民主党を結成、即日解散させられたが、非戦主義を貫く彼は万朝報を退社、「社会主義神髄」等を著し日本に社会主義を広めた。しかし大逆事件なるものの首謀者と見なされ明治44年1月24日41才の若さで死刑に処された。