一条房基

房基は大永2年(1522)土佐一条氏二代房冬と伏見宮玉姫の子として中村に生まれた。享禄3年(1530)9歳で従五位下に任じて以来侍従、右近衛中将従三位、非参議を歴任し20歳で土佐一条氏三代を継承した。

しかし、幾多の攻防の末、天文15年(1546)高岡郡を一条氏の勢力圏としたが、長宗我部国親の、反撃、伊予勢との戦いに疲れ、天文18年(1549)28歳で自殺した。墓は五輪さんと称して小姓町に祀り、位牌は右山太平寺に有る。